(堀江 正夫 著)
最後まで正々堂々と戦い抜いた第十八軍の作戦
―帰国を待ち望む7万柱のご遺骨―
要旨
ニューギニアでの戦いがどんなに過酷なものであったか、その中で如何に立派に戦ったか、そして今も帰国を待つ7万柱のご遺骨の遺骨収集の実態
最後まで正々堂々と戦い抜いた第十八軍の作戦
―帰国を待ち望む7万柱のご遺骨―
要旨
ニューギニアでの戦いがどんなに過酷なものであったか、その中で如何に立派に戦ったか、そして今も帰国を待つ7万柱のご遺骨の遺骨収集の実態
“「東部ニューギニアに散った英霊達への思い」” への4件のフィードバック
ニューギニア戦の何たるであったかを知る貴重なご本に出合いました。
ニューギニア戦の手引書として重宝させていただきます。
生還された少ない数の兵隊さんたちの中の多くが、生きて帰ったことに”やましい”思い抱え、人生を過ごされたのを傍で見ておりましたが、その源を垣間見せて頂きました。
戦略的価値が失せ、置いてきぼりにされながらも3年の長きに亘り奮闘された15万の将兵の皆様には只々頭が下がるのみです。
”生きて還れぬニューギニア”と云われた地で今なお、水漬く屍 草生す屍として、望郷の念を持ち続けておられるご遺体が一日も早くご遺族、ご親族の許にご帰還されるを願うものであります。(H)
まだまだ広大な東部(パプア)ニューギニアの北岸6州の戦闘地域に人知れず残置されている英霊ご遺骨の収容への生還戦友としての使命感と戦闘作戦実相を遺稿として残された貴重な本を精読しました。ダンピール海峡や周辺海域で海没された将兵、終戦後ムッシュ島まで戦友の励ましで辿りつきながら帰還船を待つ間に力尽きた将兵、帰還船に乗船祖国へ向かう航海中に戦友の激励にも命尽きて水葬された将兵、故郷の土を踏み父母妻子家族の許へ帰還しながらも過酷な戦地で重ねた無理がたたり生還者の過半が5~10年を生きずに早逝された事実、また、ラバウルの法廷で無実の罪で無念の法務死をされた将兵、戦争は悲しい遺族を生み出すだけです。ロシアのウクライナ軍事侵攻の日々の報道を見る時、戦争は何も生みださず永年引きずる分断と破壊しかないことを目の当たりにしてます。kM。
先生のご人徳とご遺徳を慕い集われた人々によるお別れ(偲ぶ)会は堀江家喪主兄妹の施主としての気遣いの感じられるとても良いお別れ会でした。開戦から終戦までの3年余の東部ニューギニア戦の実相を参謀(少佐)として最後の時間を惜しんで綴り残された遺稿には多くを学び知ることが出来ました。彼我の圧倒的な戦力差、制空海権を失い補給のない兵站の機能しない中で、局面局面で散華された戦友への想いや参謀としての虚しさを読み取りました。圧倒的な召集一兵卒の広大な戦域にて散華残置されているご遺骨の収容祖国帰還への事業再開を会長のご霊前にご報告出来る日の早からんことを願っております。ご冥福をお祈りしております。
父を知らぬ忘れ形見の一兵卒の遺児です。
ニューギニア戦線は聞きしに勝る戦場であった。戦闘死よりも、食糧不足による餓死は正に飢餓戦争であった。18軍は仲間意識が強く団結力の強い部隊でありその奮闘に対し、陸軍の歴史上初めて感状を授与されたこと、軍司令官と隊員との信頼関係が強かったことは誇りである。最後は後方部隊といえども第一線で戦い「同じ死ぬなら敵と戦い誇りある死」は将兵としての気概であったと思いました。何よりも著者の【遺骨収集に対する熱き思い】を強く強く感じました。そして、今尚戦地に眠る七万余のご遺骨を一柱でも多く収集して一日も早く故郷の土を踏んで頂ける事を切に望みます。
これからの人生はボランティア活動に積極的に参加することが、肝要であると確信しました。
今後益々、会の発展を心より願っております。